ウェッジウッド・コウヌコピア 25cmオープンベジタブル

ウェッジウッド・コウヌコピア 25cmオープンベジタブル

サイズ:25cm 素材:陶磁器 ※モニターの発色の具合によって実際のものと色が異なる場合があります。

コルヌー・コピエーとは食べ物と豊かさの象徴で、その起源は紀元前5世紀に遡る。

コルヌ・コピアとも。

豊穣の角、アマルテイアの角、収穫の円錐とも呼ばれる。

ギリシア神話によれば、アマルテイアはゼウス(『ローマ神話』のユーピテル 『リグ・ヴェーダ』のディヤウス 『北欧神話』のテュール 古インド・ヨーロッパ語系神話の天空神に起源を有する。

)をヤギの乳で育てたという。

返礼にゼウスはアマルテイアに羊の角を与えた。

角には、持ち主に望みのものを与える力があった。

ここからコルヌー・コピアイの伝説が生まれた。

この山羊は角の片方が折れており、アマルテイアはその角に花と果物を満たしてゼウスに捧げたとされる。

ゼウスはそれを山羊と一緒に星々の間に置き、山羊は最初のユニコーンになったとされる。

別の話によると、ゼウスは自分自身で山羊の角を折り、それをアマルテイアに渡して彼女が望んだものがなんでも手に入るよう約束したとされる。

コルヌー・コピアイ(豊饒の角)である。

アマルテイアはそれを、アケローオスがデーイアネイラをめぐるヘーラクレースとの戦いで折れた彼の角と交換に彼に渡したとされる。

またディオニューソスはこの角から湧き出る食べ物で育てられた。

古代の神話によると、角の所有者は多岐にわたる。

一般には巨万の富の象徴とされ、また様々な神性や、ナイル川など土地を豊かにする河の象徴ともなる。

また、一説によればこの山羊はヘーリオスの子孫で、ゼウスはその皮からアイギスを作ったという。

さらにこの山羊(アマルテイア)は後に山羊座になったとされる。

元来の表現では、羊の角が果物と花で満たされている。

近代の表現においてコルヌー・コピアイは一般的に、柳の枝を角型に編んだ籠がさまざまな果物や野菜とともに表現される。

アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが  お熟成アインのは ピカピカの 新品です。

完全英国製 MADE IN ENGLAND 記念ロゴ インドネシアで製では ありません。

1995年 初代ジョサイア・ウェッジウッド没後200周年記念発表作。

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こんなヴィンテージの いいものがなぜ安いかって? 安物 安いのは当たり前 良いもの安いのが アインさん   1756年 ドイツ・プロイセンのフリードリヒ大王は イギリスと軍事同盟(ウェストミンスター条約)を結び ザクセン(マイセン)・ロシア・フランス・オーストリアを敵に回し 7年戦争の火蓋を切りました。

鎧袖一触 又も マイセンを狙って ドレスデンを占領しました。

この時 大王は マイセン窯から 職人を引き抜き 挙句は 戦費調達に 瀕死のマイセンを 売り飛ばすのです。

ウェッジウッドは ヨーロッパ中を捲き込んだ 7年戦争真っ只中の 1759年  バースレムの地に ジョサイアによって 生み出されました。

ジョサイアは 製陶を生業とする ウェッジウッド家の 第13子として 1730年に誕生しましたが 11歳の少年の頃 天然痘にかかり 右足が不自由になり 1768年には 悪化した右足膝下を 切断しております。

しかし 強い意志の彼は このハンディを ものともせず 倦まず弛まず 天分に磨きをかけ 後に「英国陶工の父」と尊称される程の人物になりました。

1769年 古典芸術に造詣の深い パートナー・ベントリーと スタッフォードの地に エトルリア(古代美術の栄えた イタリアの都市名)工場開設。

ジョサイアの 古典芸術に対する憧憬と その復刻に燃える情熱から 命名されました。

この年 この地で行われていた 無釉黒色せっ器を改良して ブラックバサルトを完成。

ジャスパーウェアの魁です。

リバプール港への 運河を開鑿した事も有名です。

彼の進取の気性は 女王御用達陶工でありながら 反するアメリカ独立戦争・奴隷解放運動への 大口基金寄贈者であった事からも 見て取れます。

1785年 王立協会員・初代ジョサイアは 栄光と賞賛の中 惜しまれながら この世を去りました。

彼の天分は 息子ジョサイア2世に受け継がれ 脈々と生き続けました。

エトルリア工場は 1950年 現在のバーラストン工場(ストーク・オン・トレント)に 180年の長き伝統を引き継ぐまで 繁栄を続けました。

ボーンチャイナ 英国では 磁土(カオリン)の産出がなく 硬質磁器を作るのに 大陸から輸入して いくつかの窯で 細々と試みられていました。

一方で カオリンに代わるものを求めて 試行錯誤の後 1749年 トーマス・フレイが 牛骨を焼いた骨灰にたどり着きました。

1795年頃 この軟質磁器の 工業製品化に成功した1人が ジョサイア・スポード二世でした。

さらに1819年  現ザロップで フェルスパー(長石)が発見され 多くの窯で フェルスパー・ポースレーンの開発競争の中 この時代を リードしたのが 又 逸早く工業製品化に成功した ジョサイア・スポード二世でした。

英国ボーンチャイナ確立 一方 ウェッジウッドでは クィーンズウェアに続く ジャスパーウェアの 大ブレークが 先見の明あるはずの ジョサイアの目を曇らしたのか 後に隆盛を見る ボーンチャイナの開発に 余り関心なく(1780年 ブリストル硬質磁器窯の 買収提案を拒絶)結局ジョサイア二世による 1812年にと 大幅に遅れることに なりました。

しかしこれとても 先発するスポード社などに 及ばず 1828年には 取りやめました。

今 ウェッジウッドの 中核をなすボーンチャイナへの 再チャレンジは 1878年の遅きになりました。

やがて 研究熱心なウェッジウッドでは ワイルドストロベリーを 始 多くのヒット作の 中核的素材となる 美しいファインボーンチャイナを 完成させました。

余談になりますが ウェッジウッド家の 科学研究的優秀さは 中世最高の科学者「進化論」のダーウィンを 血脈としたこと(ジョサイアの娘スザンナの子が チャールズ・ダーウィン すなわちジョサイアの孫になります)でも有名で 世に喧伝されました。

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